死者の行方 シルバー・バーチ④
死後 身近な存在として
前回までで、死者を悲しみ嘆くことは間違いで、耐えていかねばならないこと。また、死は肉体という牢獄からの解放であり、死者は霊界にて永遠に存在していること。そして、悲しい命日は何の意味も無く、毎朝を霊的成長の好機の到来として明るく大切に生きること。を教えられました。
時折、『あぁ、、いないんだ❗』と、無性に寂しくなることがあります。寂しさに耐えれていない❗ こんな自分では、霊界から見ている亡き妻に申し訳ないと思います。
悲んでいるのは、自分を可哀そうだと思う自己中心の考え方に立っているからだと学ぶべきなのに、現実は、なかなか思うようにいきません。
大切な人の死は、私が受けるべき試練として経験させて頂いていると思えれば、感謝の気持ちが湧いてくるし、これを乗り越えてはじめて、霊性の向上が図られてゆくのだと思います。
「シルバー・バーチの霊訓(四)」で、亡き大切な人は、いっそう身近な「存在」になっていると、次のように述べています。
引用:130~131ページ 抜粋箇所は、色付け文字の文章で、下線は私が入れています。
他界した身内の者や友人・知人は姿こそ見えなくても、地上にいた時よりいっそう身近な存在となっていることを説いて、こう述べる。
「その方たちは今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じようにあなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。彼らはもはや言葉で話しかけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身のまわりにいて何かと援助してくれております。
自覚なさることがあるはずですが、実際はもっともっと密接な関係にあります。彼らにはあなた方の心の秘密、口に出さないでいる欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまで全部読み取っております。そしてあなた方の魂の成長にとって必要なものを地上的体験から摂取するように導いてくれております。けっして薄ぼんやりとした、影のような、モヤのような存在ではありません。今なおあなた方を愛し、以前よりさらに身近となっている、実体のある男性であり女性なのです。」
シルバー・バーチは、このように述べています。
今の世間の常識からは、かけ離れた荒唐無稽な話だと思われるかもしれませんが、私は、これらの言葉を信じようと思います。
あの安置していた時の亡きがら、火葬場で燃え尽きた後の残骸、日々のポッカリと空いた空間と時間、この三次元世界、物質世界での諸々の出来事、これらを思い出したり感じたりする度に、二度と肉体を持った妻と話したり、歩いたり、笑ったり出来ないという現実を嫌というほど感じます。
しかし、シルバー・バーチは、そんな状況でも、もっと身近な存在として見守っているとおっしゃる。その根底には、私も妻も、周りの人々も、山川草木も、自然界全てものが「宇宙の大霊」「神」の一部であるという確固とした信念があるからだと思います。その信念の度合を少しずつ強くして行くことが、これからの仕事だと思います。
今日の最後に、同じ「シルバー・バーチの霊訓(四)」14ページに以下のように困難克服へのアドバイスが述べられていますので、ご紹介いたします。
「時として酷(きび)しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。そんな時は神の象徴であるところの太陽に向かってこう述べるのです――自分は神の一部なのだ。不滅なのだ。無限の可能性を宿しているのだ。その自分が限りある物質界のことで挫(くじ)けるものか、と。そう言えるようになれば、決して挫けることはありません。」
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願わくば、妻の霊に一歩、また一歩、近づけることを願って🌺