私は今も
神が創造したままの私でした
「私は今も、神が創造したままの私でした」
この言葉が、心に響きます。
今だけでなく過去からずっと、と肯定しかありません。
普段、自我が中心になることが多い中、
表面はどうでもよかったのです。
罪も因果も表面の流れでしかありませんでした。
私たちは、何故そんなに、
表面にしがみついていたのでしょう ![]()
ではご参考に、先達の言葉を記します ![]()
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(答えが先達 ( シルバー・バーチ霊 ) からの言葉 )
( 答え )
・・・前略・・・
地上の人間の大きな問題点は、
自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、
波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。
ほんのわずかの間でもよろしい。
〝 この世 〟から
(物的な意味ではなく)
精神的・霊的に身を引き、代わって、
とかく抑えられている内的自我を
表面に出すようにすれば、
人生の悩みに対する回答を見出します。
時には毎日の型にはまった生活を崩して
田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。
精神状態が変わって、ふと良い解決方法を
思いつくことにもなることでしょう。
しかし本来は、コツさえ身につければ、
そんな遠くまで〝 旅行 〟しなくてもできるものです。
( 問 )
でも、それは大変な努力を要することです。
( 答え )
むろん、とても難しいことです。
しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。
もっとも望ましいことは、
もっとも成就しにくいものです。
努力せずして手に入るものは
大して価値はありません。
あなたに申し上げます。
迷わず前進なさい。
これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと
目覚めておられる日はありません。
その魂に手綱を預けてしまうのです。
その魂に煩悶を鎮めさせるのです。
すべては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。
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(答えが先達 ( イザヤ霊 ) からの言葉 )
( 問 )
それでは、愛と、愛ではないものを
どう区別するのですか。
( 答え )
愛は、その最高の顕現において、
無条件でなければならない。
本当に愛する者は、何の見返りも期待しない。
私益で行動する者は、本当には愛していないのだ。
愛は自由でなければならず、
そうでなければ愛ではない。
人を強制して、愛すように仕向けることはできない。
愛したいと願う者は、
自我を放棄することも望まねばならない。
愛と我欲は、お互いに両立し得ない正反対の概念だ。
エゴとは実際には愛の欠如なので、
エゴを放棄しなければ愛せない。
愛すことを学ぶというのは、
我欲からの脱却を学ぶに等しい。
愛す能力を高めれば我欲は減少するが、
その逆も、また然りだ。
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(すべて先達 ( ケネス・ワプニック) からの言葉 )
自我を直視する [looking at the ego]
赦しの本質であり、裁くことのない
聖霊またはイエスの優しさと忍耐とをもって、
私達の自我の思考体系を見ること。
罪悪感こそが、
自分の特別性を直視させず、
自我の真の性質を隠れたままにして、
自我を維持させるものであるから、
私達の攻撃の想念を審判せずに
直視することこそが、自我を無に戻す。
したがって、罪悪感や恐れを持たずに
自我を見つめることが、贖罪の本質である。
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自我を正直に見つめることは、
自分を否定し、罪を認める、
苦しさを感じるかもしれません。
しかし、多くの先達たちが通ってきた道
それぞれに待ち受ける道
幾多に分かれているかに見える道
それらは、姿、形が違い、別物に見えど
もともと一本しかない神の道だった、
なぜなら、
「私は今も、神が創造したままの私」なのだから ![]()
最後まで、お読み頂きありがとうございました ![]()
🔷 真夏の公園
暑さのため、誰もいません。
自然の風景があるだけです ![]()

( 2026年7月15日 撮影 )
🔷自然を眺めていると ![]()
自我が、無になってゆきますね ![]()