乳がん転移 癌性リンパ管症で亡くなりました

人生の転機にて、人生の目的を見つめてゆきます

死者の行方 霊の書 愛する者の死

死者の行方 霊の書

愛する者の死

 

私は、これまで、シルバー・バーチの霊訓などで、亡くなった妻は、霊界にて永遠の生命のもと生きていて、私の身近な存在として見守っていると知りましただから、妻が亡くなったことを悲しまず毎日を明るく霊的成長の好機として迎えていこうそして、来たる日に、亡き妻と交流出来るよう精進しよう。そう切に思います。

 

どなたにも、亡くなられた方で会いたいと思われる人が、一人、二人、必ずいるのではないでしょうか。この霊訓の教えは、とても奥が深くて、霊という見えない存在を信じる信念を強く持つほどに実感が湧いてきます。より多くの人々に知ってほしいと思います。

 

しかし、本当に重要なことは、知識として知った次の段階です。霊的な知識を土台に考え行動してゆくことです。出会う場面場面で、どんな心を使って、どう考え、どう行動するか。その為には、霊的知識を本当に自分のものにすることが大切です。心の底から ”分かったー” "そうだったんだー" という心境に到達しないといけません。そのための方法は、何でしょう。このことは、別の機会に考えたいと思います。

今日は、別の方の霊言集に「愛する者の死」について書かれていましたので、その内容をご紹介したいと思います。書名は下記です。

 

 ・書名:霊の書 下

 ・編者:アラン・カーデック

 ・訳者:桑原啓善

 ・出版:潮文

 

この「霊の書」(仏語原題 Le Livre des Esprits、英書名The Spirits' Book)は、1857年4月18日にフランスの教育学者アラン・カーデックによって出版されたスピリチュアリズムの書籍で、シルバー・バーチの霊言等と並び称される人間の書・人生の書と言われています。

霊の書 日本語訳と仏語原典

本書は、霊の起源生命の目的宇宙の秩序善と悪来世について のFAQあるいは質問集 として構成されていて、カーデックによれば、それらに対する答えは1850年代に行われた数回の心霊的セッションにおいて、自らを「真実の霊 (The Spirit of Truth) 」と呼ぶ一群の霊から与えられたといいます。

 

引用:160~163ページ 抜粋箇所は、色付け文字の文章で、下線は私が入れています。

 

「 愛する者の死

(九三四)愛する者を失うことは、取り返しのつかないことであり、また自分の力ではどう仕様もない事です。これこそ悲しみの中の悲しみではないでしょうか。

 

「金持ちにも貧者にも等しく襲いかかるこの 悲しみの源こそ、人類普遍の法である。これは 試練であり罪滅ぼしである のだから。しかし、諸君等は既に友人等と交通する方法をもっており、それから慰めを得ている。また、もっと直接的に 諸君に 感覚される別の方法が、将来あるだろう」

 

質問者が、「取り返しのつかないこと」「どう仕様もない事」「悲しみの中の悲しみ」と言っている気持ちが本当によく分かります。私だけでなく、大切な方を亡くされた方々は、みな同じ気持ちだと思います。

 

ですから、この質問者への回答は、何と意味深いものでしょう。感嘆しかないです。

 

悲しみは誰にも平等に訪れ、悲しみの源は人類普遍の法だという。宇宙の隅から隅まで壱分の狂いもなく完璧な法則・摂理が行きわたっていることを物語っています。

 

そして、「試練であり罪滅ぼしである」という。確かに、私は今、試練を感じています。これまでになく重く深い試練、そして乗り越えられるのか不安でいる。だが、これは、私が今まで重ねてきた罪の数々の償いだという。自分は、霊的に向上するよう、今回の試練を妻にお願いし、妻がこの世の最後の仕事として、私にこの試練を与えくれたのでしょうか! 何ということでしょう!!
神の完璧な愛の摂理を亡き妻を通じて感じずにはおれません。

 

あと、当時行われていた、交霊会にて亡き人と交流していたことに触れていますが、もっと、直接的に感覚される方法があるという言葉に勇気づけられます。これは、どのような方法なのか? 別の機会に考えてみたいと思います。

 

(九三五)死者と交通することは、神聖を汚すものだという意見は、どのように考えられますか。

 

「思慮と共感をもって、敬虔な気持ちで心をこめて行えば、神聖を汚すなどということはない。その証拠に、諸君を愛している霊達が、君を訪れるのを楽しみにしている ではないかね。彼等は諸君等に思い出して貰い言葉を交わすのが嬉しい のである。だが、もし軽々しい気持ちでこれを行えば、神聖を汚すものとなるだろう」

 

(九三六)後に残された者達の慰めようもない悲しみ、これは当の悲しみの対象である霊自身に、どんな影響を及ぼしますか。

 

「霊は人が自分を思ってくれることには感銘するし、また自分が愛した人達を名ごり惜しくは思っている。だが、いつまでもひどく悲しみ続ければ、霊本人にも苦痛を与える。と申すのは、このように悲しみ深ければ、来世への確信 とか 神への信 欠けている ことが目に映るから。また、このことは、悲嘆者の進歩の障害、やがて二人が 再会するための障害ともなりかねないと、かように思うからである」

 

ここにも、非常に重要なことが述べられています。
死別」という、この世で最も深く切ない悲しみをいつまでも思い続けることは、悲しむ人の「」が欠けていることの証明であるという。

どんなにこの世で深い孤独を感じようとも、いつも自分の周りには、親しく感じていてくれる多数の霊が存在していることを教えてくれています。どんなに辛い試練と思えても、勇気を奮ってこれを耐え、愚痴をなくすなら、きっと、この世を終えた時に苦難を耐えきったことを喜びに思うときが訪れるのだと思います。

 

「スウェデンボルグ」といい、「シルバー・バーチの霊訓」といい、「霊の書」といい、何と共通して深い霊的知識の宝庫なのかと思わずにおられません。これは全てが、「宇宙の創造者」につながっているからではないでしょうか、そして、私も、みなさんも、そのつながりの中にいるのです。

 

 

 

 

 

 

願わくば、妻の霊に一歩、また一歩、近づけることを願って🌺