乳がん転移 癌性リンパ管症で亡くなりました

人生の転機にて、人生の目的を見つめてゆきます

【私の謎】子供の頃の謎、人生最大の謎 ‼️

【私の謎】子供の頃の謎、

人生最大の謎について

 

 

 

私が子供だった頃の謎、これが今も 人生最大の謎 として残っています。

 

その謎とは、、、

小学低学年の頃から、これまで何度も考えましたが、答えが出ていません。

 

その謎とは、これ👇です。


「なぜ私は、この体に私として存在しているんだろう?」
「なぜ私を中心に、私だけを感じる世界が存在するんだろう?」
「自分が、この世からいなくなったら、誰が私の代わりに自分を感じるんだろう? 私が生まれてくる前は、誰が自分を感じていたんだろう?」

「私がいなくても、世の中は存在し、進化していくんだから、私を感じる私は、いなくても良いのではないか? 何のために私は存在しているんだ?」

 

このようなことを延々と考えて、、、答えがいつも見い出せず、堂々巡りをしてきました。。

 

幼少期は、「きっと周りの人も同じことを考えているんだ」「大きくなったら、答えが見つかるだろう」と、自分自身を言い含めてきました。しかし、大人になるにつれ、その答えを探して、いろいろな宗教や精神世界、霊的書籍などを読んで来ましたが、答えは見つかりませんでした。

 

 

しかし、最近になって、同じようなこの「謎」について考えている人がいることを知りました。著名な哲学者の永井均さんや、その他大勢の方が、私と同じようなことを考えていたのです。これは、驚きでした。私だけでは無かったんだと!!

 

 

私が幼少期に感じたことは、一般的に「自我体験」と呼ばれ、人が成長する過程で、約一割の人が体験しているという調査結果もあるそうです。しかし、これまでに哲学者の間で様々な 解の例 が示されているものの、根本的に解決されていない「超難問」だということでした。「唯我論(独我論)」もそうです。

 

 

哲学者の永井均先生は、著書の中で、以下のように述べられています。

 

無限の昔から、世界は〈私〉なしに存続してきた わずか数十年(長くてせいぜい百年)の例外期間を過ぎて、世界はまた〈私〉なしに存続してゆくであろう数十億の生きた人間、他の天体にも存在するであろう無数の自己意識的な生き物のうち、〈私〉 であるという特殊な、例外的なあり方 をした生き物が存在している。その 例外的な期間 とは何であり、 その 例外的なあり方 とは何であるのか。それは 神秘   としか言いようがない。それを 説明する言葉はありえない

 

 

私も、この「私は、なぜ<私>なのか」という謎は、本当に 神秘 としか、いいえないと思います。有限な頭で無限を考えているからです。

 

ただ、この謎を感じている人が、同世代に私だけでなく大勢いることを知って、今回、私なりに、一つのことが分かりました。

 

 

私が、知るいくつかの 真理」、、

 

①「神はすべて、すべては神なり」

天地万物は、宇宙の大霊(神)によって創造され、その中で個性を顕現して存在しています。⇒ だから、誰一人として、特別な存在は無く、すべて万物は、神の属性を公平公正に持っている。 神の属性とは、永遠不滅、全知全能、公正無私、完全無欠、無償の愛、などです。

 

②「神の摂理(絶対不変の法則ー因果律)の中に生かされている」

自分が蒔いたタネが生み出すものは、必ず自分で刈り取る。いかなる人物も力も、この法則に干渉することは出来ない。⇒ だから、病気であれ、貧乏であれ、境遇であれ、人間関係であれ、一見、不幸に見えることも、その原因は、必ず自分の中にある。過去世からの因縁も含めて。。結局、すべてが、神の心に気付き、神に近づいてゆくための霊的進化の糧なのだと思います。

 

 

この真理」のうえで、「私は、なぜ<私>なのか」の謎を考えた時、

 

【私の謎】は、突き詰めると、まず、<私>という存在を、例外的な存在、特別な存在、として強く意識し、自分自身を、世の中の中心 として感じています。

 

しかし、霊的な真理に照らすと、特別な存在など、宇宙の大霊(神)の前には、存在していない んです。みんながみんな、公平公正、平等に扱われ、誰ひとり、またどんな些細な生物でも無機物でも、特別視されず、神の顕現にほかならない からです。

 

ということは、【私の謎】は、その霊的な真理を私に教える為、こういう<私>という存在を考えやすい、肉体を神が与えて下さった、と考えるのが自然です。

 

【私の謎】を意識すればするほど、「己偉し」「己高し」「傲慢さ」「驕り」の心が、心の奥底に見え隠れしてきます。そんな、誤った心を悟らせる為 に、最も適した形(肉体)で、この【私の謎】を考えるよう、神が与えて下さったんだと、理解しました。

 

しかし、傲慢な自分自身の間違った心の在り方に気付くために、この特別な肉体が与えられたとしても「なぜ私だけが、<私>を感じているのか」【私の謎】は残るのです。

 

この世で、<私>を感じる私は、【私の謎】を考えるAさんでもいいし、Bさんでも、Cさんでも良いのに、何故か「私」なのです。この【私の謎】は、この肉体の束縛から開放される時に答えが見つかるのではないかと、今、思っています。まさに、永井先生が言われたように、「神秘」としか、いいようのない【私の謎】なんです。 

 

ただ、究極のところ、「神のみ存在する世界」だと知る一歩なのだ、と、今は感じています。

 

 

今日は、最後にシルバー・バーチの霊訓より、次の一節をじっくり味わいつつ締めくくりたいと思います。

 

引用:「シルバー・バーチの霊訓(五)」156ページ
第九章  神は愛の中にも憎しみの中にも より抜粋
抜粋箇所は、色付け文字の文章で、太字と下線は私が入れています。

 

 

神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密 を学んだことになります。なぜならば、世の中が不変にして不可変、全知全能の法則によって治められている ことを知れば、絶対的公正が間違いなく存在 し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって 一人として忘れ去られることがない ことを知ることになるからです。

 

だからこそ 全てが知れるのです。だからこそ 何一つ手落ちというものがないのです。だからこそ 人生のあらゆる側面が宇宙の大機構の中にあって然るべき位置を占めているのです。だからこそ 何一つ見逃されることがないのです。いかに些細なことでも、いかに巨大なことでも。すべてが法則のワク内に収められているからですすべてが法則だからです。存在を可能ならしめている法則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているのです

 

 

このように、神の絶対不可変の法則の中に、私たちは存在している のですが、、私達人間は、与えられた自由意志によって、自ら混乱と迷いを引き起こし、神の法則の働きを正しく見えなくしてしまっている のです。だから、今世、進化向上の道、途上にある んだと思います。

 

シルバー・バーチの霊訓 五

 

 

 

 

 

願わくば、妻の霊に一歩、また一歩、近づけることを願って🌺