乳がん転移 癌性リンパ管症で亡くなりました

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癌性リンパ管症

癌性リンパ管症

8月8日月曜日夜、緊急入院した妻が容体急変、8月15日月曜日の昼過ぎ、旅立ちました!😢

乳がん治療

もともと、乳がんの告知を2020年秋に受け、これまで、二度の手術で左乳房全摘、腋窩リンパ節郭清、鎖骨上リンパ節郭清などを行い、その間、抗がん剤治療として、テセントリク(免疫療法)、ddAC療法、ゼローダ内服、ハラヴェン療法を行っていました。

2022年4月28日木曜日の2回目手術後、取りきれなかった左脇血管近くに出来た腫瘍を治療する為、放射線治療を5月26日~7月13日まで、標準より多く35回もやっと終わった後のことです。

 

乳がんのタイプは、トリプルネガテブ、その中でも特殊型に分類されている、あくどい癌「化生がん」でした。ステージは3C余命は半年と告げられていました。

7月13日の放射線治療終了後の2週間程は、普段通り元気な姿でしたが、3週間目頃より、倦怠感、食欲不振、微熱等の症状が少しずつ出てきて、家ではベッドに横になる時間が増えてきました。

 

肺炎の疑いで入院

このままでは、”まずい”ということで、2回目の手術を行った、大学病院に電話をしたところ、コロナの疑いもあるので、近くの内科を受診するように言われました。これが、8月8日月曜日午前中のことです。

その後、市内の内科クリニックに電話をし、夕方の診察予約で診て頂いたところ、コロナは陰性。但し、肺に「もやがかかった」ような状態なので、入院も出来る隣町の総合病院を紹介されました。車で、約40分程の所です。

そして、8月8日夜、X線、CT、血液検査等の結果、肺炎の疑いなので、そのまま緊急入院、一週間の入院予定でした。まさか、亡くなるなんてこの時、思いもよりませんでした。この時点では、ゆっくりですが、一人で歩くことは出来ていました。

 

ただ、酸素濃度が、90%ちょっとと低く、鼻から酸素吸入をしてもらっている状態でした。その日は、救急外来に10人くらい来ていたので、検査待ちや入院説明等が終わって家に帰ったのが、夜の23時半頃になりました。


入院後、急速に悪化

翌日の8月9日火曜日より、抗生物質点滴、栄養剤点滴、ステロイド剤点滴、酸素マスク吸引等、治療が始まったものの、日に日に病状が悪化して行きました。

 

抗生物質による下痢で、一晩に5回もトイレに息切れでゼイゼイしながら車いすで行ったり、食べると下痢をするので、食べることが怖くなって食事が出来なくなったり。

 

また、息苦しくて眠れない。整腸剤の薬を飲もうとすると、うまく飲めず過呼吸になって死ぬ思いをしたり。そのうち、座ることも、ベッドから起き上がることも出来なってしまいました。

 

余命宣告

入院して5日目の8月12日金曜日夕方、ようやく主治医から病状説明を受けました。肺炎、間質性肺炎、放射性肺臓炎、、、と消去法でいくと、乳がんが肺に転移した癌性リンパ管症の疑いが濃厚。余命は、2~3週間。ただ、急変の可能性もある。急変時、気管挿管したり、心臓マッサージ、電気ショックといった、救命措置は行わないと告げられました。

 

その日の病状説明の後、面会許可を得て、12日金曜日~14日日曜日の三日間の夕方、面会出来ましたが、段々と弱っていく横たわる姿に、本当に辛く悲しい思いで一杯になりました。

 

14日日曜日面会時、ベッドに横になり、体を動かすのもしんどい状態でした。ベッドのチェックパネルを見ると、ご飯は、ほとんど手を付けられず、おしっこも出ていない状態でした。

 

アイスクリームを買ってきてほしいと言われて、売店に行きましたが閉まっていて、近くにコンビニもないので、「明日買ってくるね」とその日は帰りました。ベッドに横になったまま、”今日もありがとう、バイバイ”と手を振ってくれました。

 

亡くなる当日

翌日15日の月曜日夕方、昨日希望があったアイスクリームを持っていく予定でしたが、13時30分頃、病院より「息が苦しい状態。至急病院に来るよう」電話がありました。移動中の13時40分頃、再び病院より、「今、どこにいますか?」と電話がありました。

 

病院に到着した14時20分頃、すでに心肺停止状態で、人工呼吸器は動いてしましたが、数値はゼロ、波形は一本線。主治医から、死亡を告げられました。

 

看護師さんから、「死後の処置をします」、「どこの葬儀会社さんにお願いするか考えておいて下さい」と言われ、ここから、急に慌ただしくなって来ました。

 

反省

もっと早く、一か月、二か月前から、対処していたらと後悔しています。

 

入院するずっと前から、少しずつ体の不調は現れていました。体を休める時間や回数が増えてきたり、好きな買い物に行かない日があったり、歩くスピード、しんどさ等、妻の症状に対する私の認識と理解が不十分でした。

 

みなさんには、是非、いつもと違う気づきが必ずありますので、それを見逃さず早め早めに主治医に報告する機会を持たれるようお勧めします。

 

次回は、まだ先だと思っていた「葬儀会社」を急いで決めたこと等について書いていきたいと思います。