乳がん転移 癌性リンパ管症で亡くなりました

人生の転機にて、人生の目的を見つめてゆきます

乳がん転移 「死の瞬間」 霊界へ 旅立ち

乳がん転移 「死の瞬間」

霊界へ 旅立ち

 

前回、「死の瞬間」において、肉体と霊体が分離する過程を詳しく観察した内容をご紹介しましたが、今回は、その続きで、分離した霊体が旅立っていく過程をご紹介します。

 

観察者は、アメリカの アンドリュー・ジャクソン・ディヴィス (Andrew Jackson Davis, 1826年8月11日 - 1910年1月13日)、驚異の霊視能力で観察しています。出典は下記の通りです。

 

 ・書名:世界心霊法典 第三巻 スピリチュアルリズムの真髄

 ・著者:ジョン・レナード

 ・訳者:近藤千雄

 ・出版:国書刊行会

 

(引用は、第二部 第二章 「死」の現象とその過程 より。引用箇所は、色付き文字。太字と下線は私が入れています。)

 

 

 霊体を整え終えた霊は自分の亡骸の頭部のあたりに垂直に立った。これで六十有余年の長きに亙って続いた二つの身体のつながりがいよいよ途切れるかと思われた次の瞬間、私の霊眼に 霊体の足先と肉体の頭部とが一本の電気性のコードによって結ばれている のが映った。

 

明るく輝き、生気に満ちている。これを見て私は思った。いわゆる 『死』 とは 霊の誕生 にほかならない のだ、と。次元の低い身体と生活様式から、一段と次元の高い身体と、それに似あった才能と幸福の可能性を秘めた世界への誕生 なのだ、と。また思った。

 

母親の身体から 赤ん坊が誕生する現象 と、肉体から 霊体が誕生する現象 とまったく同じなのだ。ヘソの緒の関係まで同じなのだ、と。今私が見た 電気性のコード ヘソの緒 に相当 するのである。

 

コードはなおも二つの身体をしっかりとつないでいた。そして切れた。その切れる直前、私は思ってもみなかった興味深い現象を見た。コードの一部が 肉体へ吸い込まれていった のである。吸い込まれた 霊素 分解されて全身へ行き渡った。これは 急激な腐敗を防ぐため であった

 

 その意味で死体は、完全に腐敗が始まるまでは埋葬すべきではない。たとえ見かけ上は(医学上の)死 が確認されても、実際にはまだ 電気性のコード によって 霊体とつながっている からである。事実、完全に死んだと思われた人が数時間、あるいは数日後に生き返って、その間の楽しい霊界旅行の話をした例があるのである。

 

原理的に言えば、これはいわゆる失神状態、硬直症、夢遊病、あるいは恍惚状態等と同一である。が、こうした状態にも程度と段階があって、もしも肉体からの離脱が中途半端な時は、その数分間、あるいは数時間のあいだの記憶はめったに思い出せない。

 

ために浅薄な人はこれを単なる意識の途絶と解釈し、その説でもって霊魂の存在を否定する根拠としようとする。が、霊界旅行の記憶 を持ち帰ることが出来るのは、肉体から完全に離脱 し、霊的ヘソの緒 すなわち 電気性のコード(電線と呼んでもよい)によって つながった状態で自由に動きまわった時 であって、その時は 明るい楽しい記憶 に満ちみちている。
 
 かくして、しつこく霊との別れを拒んでいた 肉体からついに分離した霊体 の方へ目をやると、さっそく 霊界の外気から新しい霊的養分を吸収 しようとしている 様子が見えた。

 

はじめは何やら難しそうにしていたが、間もなくラクに、そして気持ちよさそうに吸収するようになった。よく見ると 霊体も肉体と同じ体形と内臓を具えている。いわば肉体を より健康 に、そして より美しく したようなものだ。心臓も、胃も、肝臓も、肺も、そのほか、肉体に具わっていたもの すべてが揃っている。

 

何とすばらしいことか。決して姿格好が地上時代とすっかり変わってしまったわけではない。特徴が消え失せたわけでもない。もしも地上の友人知人が私と同じように 霊眼 でもってその姿を見たならば、ちょうど病気で永らく入院していた人がすっかり良くなって退院してきた時の姿を見て驚くように、〝まあ、奥さん、お元気そうですわ。

すっかり良くなられましたのね〟───そう叫ぶに違いない。その程度の意味において 霊界の彼女は変わった のである。

 

 彼女は引き続き 霊界の 新しい要素 と 高度な感覚 に自分を適応させ馴染ませようと努力していた。もっとも私は彼女の新しい霊的感覚の反応具合を一つ一つ見たわけではない。

 

ただ私がここで特記したいのは、彼女が 自分の死の全過程 を終始冷静に対処したこと、そしてまた、自分に死に際しての家族の者たちの止めどもない嘆きと悲しみに巻き込まれずにいたことである。

 

一目見て彼女は家族の者には 冷たい亡骸しか見えない ことを知った。自分の死を悲しむのは、自分がこうして今なお 生きている霊的真実を知らない からだ、と理解した。

 

 人間が身内や知人友人の死に際して嘆き悲しむのは、主として目の前に展開する 表面上の死の現象 から受ける 感覚的な反応 に起因しているのである。

 

少数の例外は別として、霊覚の未発達の人類、すなわち全てを見通せる能力をもたない現段階の人類、目に見、手で触れること以外に存在を確信できない人類、したがって 『死』 というものを肉体の現象によってしか理解できない人類 は、体をよじらせるのを見て痛みに苦しんでいるのだと思い、また別の症状を見ては 悶えているのだ と感じるのが一般的である。

 

つまり人類の大部分は 肉体の死が全ての終わり であると思い込んでいるが私はそう思い込んでいる人、あるいは死の真相を知りたいと思っておられる方に確信をもって申し上げよう。

 

死に際して本人自身は何一つ苦痛を感じていない。仮に病でボロボロになって死んでも、あるいは雪や土砂に埋もれて圧死を遂げても、本人の 霊魂は少しも病に侵されず、また決して行方不明にもならない。

 

もしもあなたが生命の灯の消えた、何の反応もしなくなった肉体から目を離し、霊眼でもって辺りを見ることができれば、あなたのすぐ前に同じその人が すっかり元気で、しかも 一段と美しくなった姿 で立っているのを見るであろう。

 

だから本来『死』は霊界への第二の誕生として喜ぶべきもの なのだ。然り。もしも霊が鈍重な肉体から抜け出て一段と高い幸せな境涯へと生まれ変わったことを嘆き悲しむのならば、地上の結婚を嘆き悲しんでも少しもおかしくないことになる。

 

祭壇を前にして生身のまま墓地に入る思いをしている時、あるいは魂が重苦しき雰囲気の中で息苦しい思いを強いられている時、あなたの心は悲しみの喪服をまとうことになろう。が、本当は明るい心で死者の霊界への誕生を祝福してやるべきところなのだ。

 

 以上、私が霊視した 死の現象が完了するのに要した時間は ほぼ 二時間半 であった。もっともこれが全ての死、すなわち霊の誕生に要する時間ということではない。私は霊視の状態を変えずに、引き続き霊魂のその後の動きを追った。

 

彼女はまわりの霊的要素に慣れてくると、意志の力でその高い位置(亡骸の頭上)に直立した状態から床へ降り立って、病める肉体と共に数週間を過ごしたその寝室のドアから出て行った。夏のことなので、すべてのドアが開け放ってあり、彼女は何の抵抗もなく出て行くことができた。

 

寝室を出ると、隣の部屋を通って戸外へ出た。そして、そのとき初めて私は 霊魂がわれわれ人間が呼吸しているこの 大気の中を歩くことが出来る のを見て、よろこびと驚きに圧倒される思いであった。それほど霊体は精妙化されている のだ。

 

彼女はまるでわれわれが 地上を歩くようにいともたやすく大気中を歩き、そして 小高い丘をのぼって行った。家を出てから程なくして 二人の霊が彼女を出迎えた

そしてやさしく お互いを確かめ話を交わした のち、三人は揃って地球のエーテル層を斜めに歩き出したその様子があまりに自然で気さくなので、私にはそれが大気中の出来ごとであることが実感できなかった。

 

あたかも、いつも登る山腹でも歩いているみたいなのだ。私は三人の姿をずっと追い続けたが、ついに視界から消えた。次の瞬間、私はふだんの自分に戻っていた。

 

 戻ってみて驚いた。こちらはまた何という違いであろう。美しく若い霊姿 とはうって変わって生命の灯の消えた冷え切った亡骸 が家族の者にかこまれて横たわっている。まさしく 蝶が置きざり にした 毛虫の抜け殻 であった。

 

 

このように、A・J・ディヴィスは、霊視によって観察した「死の瞬間」を詳細に伝えると共に、「肉体の死は全ての終わりではない」、「肉体の死は、霊界への第二の誕生として喜びましょう」と断言しています。

 

同じことは、これまでにご紹介してきました、スウェデンボルグも、シルバー・バーチも、アラン・カーデックも、述べています。

 

私たちは、どうしてもこの肉体世界がすべてと思い、そこで起きる様々な出来事(良いことも悪いことも含め)に翻弄される日々を過ごしています。そして、「死後の世界」のことを考える余裕すら無いのが実情だし、時間があったとしても確信を持てる「体験」が無いのも普通です。ただ、一部の特殊な感覚、能力、霊的体質などを持った方だけが、これまで、「死後の世界」を体感して来たのです。

 

しかし、この世界に生きている誰もが、この完璧に合体した「肉体と霊体」とを持っている訳ですから、これから「霊体」に比重を置いた感覚を研ぎ澄ましていくなら、これまで出来なかったことが可能となるのです。いえ、必ず出来るのです。なぜなら、「肉体」は、いずれ滅びて「塵」となりますが、「霊体」は、永遠に生き続ける、私たちの主体 だからです。

 

その為には、まず知識として、「死」や「霊界」のこと、さらに「万物の創造主」や「絶対不変の摂理」など、「霊的真理」をもっと深く知ることから始めたいと思います。そして、知識を得るとともに、次のステップに移ってゆくことが大切だと思います。

 

次回以降、「霊的真理」について、シルバー・バーチの霊訓を中心に、大切なことをご紹介したいと思います。今日は、長くなり申し訳ありませんでした。

 

スピリチュアルリズムの真髄

 

願わくば、妻の霊に一歩、また一歩、近づけることを願って🌺